僕がいつも絶対に欠かさず神社に参拝する理由を初めて語ってみようと思う

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僕はたぶん人よりもかなり多い頻度で神社に参拝しています。

この行動をいつから始めたのかは不明ですが、いつの間にやら習慣になっていました。

今回は僕が絶対に欠かさず参拝をする理由を初めて書いてみましたよ。

何となく気持ちがスッキリするのでオススメです。

 

自分と向き合うために僕は参拝する?

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僕にはいつも絶対に欠かさず行う習慣が2つあります(結果論ではあるのですが)。

1つがブログを書くこと。

そして、もう1つが今回の記事でも取り上げている「神社に参拝する」こと。

ブログに付いては読者の皆さんも知っての通り、当ブログ(SEKATABI)のことを指しています。

ただ、ブログに関しては習慣というより収入の糧を得ているワケですから仕事と言った方が的確かもしれませんね。

自分としては好きで書いてるので仕事をしているという感覚があまりありませんが。

一方、それとは別に仕事とは全く別次元でいつも欠かさない習慣が「神社に参拝すること」です。

なぜかと言われるとハッキリとした理由は見つかりません。

ですが、いつのことやら僕は決まって人より多く神社で参拝するようになりました。

神社で1人手を合わせているとき、何だかすごく居心地が良いんですよね。

また、参拝した後は晴れやかな気持ちになれます。

普段は自分と向き合う機会の少ない僕ですが、そのときばかりは神社にいる神様だけでなく自分自身とも対峙しているのかもしれません。

本当のところは僕自身にもまだよく分かりませんので、あえて「かもしれません」という表現をしてみました。

たぶんタイ人を近くで見ているから

今回この記事を書くにあたって、僕が欠かさず神社に行き始めた理由を考えてみました。

そうすると、「たぶん」の域を出ないのですが僕はどうもタイで生活していてたからではないかという結論に至ったのです。

つまり「タイ人の仏教観にスゴく影響された」とでも言いましょうか。

彼らの多くは未だに毎日欠かさず、もしくは最低でも数日に1回はワット(「寺院」の意)へ参拝しに行きます。

何と言うか彼らにとって「参拝すること」が生活の一部になっているんですよね。

そういう光景を僕は19歳くらいからずっと見ているからか、僕にとってもその光景が当たり前になっていました。

で、今では僕にとってもタイと日本とに関わらず「参拝」という行為自体が生活の一部になっているのかなんて思っています。

※タイ人の信仰心についての僕なりの考察はまたの機会にでも書いてみますね。

 

収入の1割を寄付すると豊かになれるらしい

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石油王として巨万の富を築いた初代ロックフェラー氏は、自分の子どもたちにこう説いたと言われています。

「酒、タバコを控え収入の10%は慈善寄付をすること(『ロックフェラー回顧録』より)」

また、世界トップクラスの大富豪であるビルゲイツ氏やウォーレンバフェット氏も総資産の実に90%以上を生きている間に寄付すると公言しました。

この教えの正当性は僕にも分かりません(キリスト教と仏教と、宗教も全く違いますし)。

でも、僕も神社や寺院に参拝したときは必ず寄付をするようにしています。

もちろん僕も最初はやっぱり「お金持ちになりたいから!」という下心まる出しで寄付をしていました。

今も少なからずそのような気持ちがあるのかもしれませんが(笑)。

しかし、いつもいつも寄付しているうちに何とも言えない別次元の感情を抱くようになったのです。

ありきたりですが一言で言い表すなら「感謝」の気持ち。

「いつも僕を見守ってくれてありがとうございます。お陰さまで今日も健康です」

このような感情が、寄付をする際に自然と湧いてくるようになったのです。

また、それと同時に「これだけの寄付が出来る僕は豊かだな。ありがたいな」と心から思えてくるのです。

 

義務にしてしまうと続かない

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そんな新しい一面を遺憾なく魅せ付けた僕ですが(笑)、寄付をすることを義務にはしていません。

むしろ参拝すること自体でさえ絶対に義務にはしないつもりです。

だって、そんなことをしてしまうと疲れてしまうから(流行りの言葉を使えば消耗しちゃうから)。

僕の中ではブログもそうですし、参拝することもただ「いつもの」習慣であって「毎日の」習慣ではないワケです。

「自分がそうしたいときに(そうしたいから)、そうする」

それ以上でも、それ以下でもないと思っています。

ブログで言えば自分が書きたいからトコトン書くし、逆に書きたくないときはトコトン書かない。

また、参拝や寄付をするときもたまたま通りかかったからとか行きたいと思うからただそうするだけの話。

この漠然とした感じが、つまるところ僕がいつも絶対に欠かさず神社に参拝する理由です。

人生なんてその程度でも全然悪くないんじゃないかなと思う今日この頃なのでした。

 

さいごに

今回の記事では、僕がいつも絶対に欠かさず神社に参拝する理由を書いてみました。

その結論が「漠然とした感じ」って言うのも何だか僕らしいですよね。

書き終わって自分でも笑ってしまいました(笑)。

でも、1つだけ言えることがあって神社に参拝するって何だかスッキリしますよ。

手を合わせている間のその一瞬だけは、なぜか自分自身と真剣に対峙しているような感覚になります。

寄付をするとかしないとか、寄付が多いとか少ないとかは正直どうでも良いんじゃないかな。

皆さんも何か思うところがあればぜひ、試してみて下さいね。

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ABOUTこの記事をかいた人

海外ノマドや旅行情報を中心に自身の経験を交えてブログで発信中。カメラやスマホなどのガジェット類も大好き(旅の7つ道具として紹介しています)。また、「タイ」をこよなく愛し1年の半分以上をパタヤとバンコクを中心に暮らしています。嫁はタイ人。